代表挨拶
奈良グルメフェア実行委員会
会長 増井 義久奈良の食文化があまりにも知られていません。「奈良にうまもん無し」のイメージを払拭するには、奈良の食文化を知り、奈良の料理を食べることが必要です。奈良の食文化研究会と共に「うまし食彩博」他、数多くの食のイベントを企画してきました。今回は「春日餺飥うどん」を創作した食と歴史の企画です。奈良の食文化を是非お楽しみください。
NPO法人 奈良の食文化研究会
理事長 瀧川 潔このたびの企画で奈良の食文化に注目いただけることはうれしい限りです。当会は、約20年にわたり奈良の食文化の発掘、広報、発展に努め、世界文化遺産登録の和食の源泉の多くが奈良にあったと広報してきました。このたびうどんの元祖ともいえる「はくたく」が春日大社ゆかりとの資料から、奈良もうどん発祥の地の一つではと提唱しております。皆様のご論議盛り上げで、うどん文化をさらに広めていただければ幸いです。
はくたく物語 短編小説募集
うどんのルーツは奈良にあり!!「春日餺飥うどん」短編小説コンテスト
応募要項(締め切りました)
<内容>
奈良を舞台とした“奈良の歴史あるあたらしい食”「春日餺飥(はくたく)うどん」を題材に、こころあたたまるストーリーを募集します。未発表オリジナル作品に限ります。くわしくはホームページ参照。
<応募規定>400字詰原稿用紙30枚まで。ワープロ原稿はA4よこ置き・縦書きで、40字×40行で印字し7枚までとする。表紙として1枚目にタイトル、氏名(ペンネーム可(ふりがな)、本名)、住所、電話番号、職業、生年月日を明記。また、200字程度のあらすじも書いてください。右肩とじで下記まで郵送してください。なお、応募された原稿は返却いたしませんのであらかじめご了承ください。
<応募先>
〒630-8325
奈良市西木辻町139-6 京阪奈情報教育出版株式会社「小説コンテスト」係<締切りおよび発表>
締切り日、平成28年3月10日必着
発表、発表、平成28年4月23日、当HPにて
(ただし、入賞者には事前に通知いたします)<賞>
大賞1編 副賞賞金10万円および「大和路ろまん文庫」として出版し、50冊贈呈
優秀賞 副賞賞金5万円および「大和路ろまん文庫」として出版し、50冊贈呈<諸権利>
受賞作品の出版権、二次使用権(翻訳、電子版出版など)は主催者に帰属します。
<主催>
2016奈良食育文化祭(第4回奈良グルメフェア実行委員会)
春日餺飥うどん(ストーリー例)
春日餺飥うどん語り
春にはまだ肌寒い夕刻。
齢〈よわい〉十〈とう〉になる帝〈みかど〉率いる御一行は、春日の森へと差し掛かりました。
唐車を降りられた帝は少し歩くも、突然しゃがみ込まれました。その御顔はお辛い様子で、お付きの者が狼狽えました。どうやら京からの長旅でお疲れになったのでございましょう。
気丈にも立ち上がろうとする帝であられましたが、数歩進んでは腰を落とされます。そのような状況に、遠目で伺う神官たちもざわつきました。
すると白装束の少女がひとり、帝を囲む者たちへ近付いたのでございます。
それは、春日大社へ奉仕する斎女〈いつきめ〉でした。
手にするモノを差し出しながら笑みを浮かべ、
「帝にお召し上がりいただけますればと存じます」
と、お付きの冠者へそれを手渡したのです。
柔らかみのある方形の食べ物が、そこにはありました。
「遣唐使が唐から持ち帰った菓子――餺飥でございます」と言い残し、その場を去りました。
しばらく呆然としていた冠者でしたが、帝を取り巻く輪へ駆け寄り事情を伝えました。そうして手元まで運ばれた菓子を、帝はひとくち味わいになられたのです。その後、体調をお戻しになられた帝は、ご自身の足で春日行幸に臨まれました。
翌朝、春日大社の舞殿では斎女が数名、歓迎の舞を披露しました。その中央で嫋やかに踊るひとりの斎女に、帝の視線は釘付けになられました。
ほんの僅か帝の眼が斎女と合った際、その小さな微笑みに気付かれたのです。昨夕、餺飥を差し出したのが斎女と耳にしていた帝は、その少女にそっと頭をお下げになりました。
その後、お二人が会うことは適いませんでしたが、帝の御心には斎女の笑顔と束ねた黒髪の輝きが消えることはなかったということです。
うどんのルーツは奈良にあり!!「春日餺飥うどん」
短編小説コンテスト 入賞者決まる!
<開催趣旨・選考経過>
春日はくたくうどん短編小説コンテストは、奈良を舞台とした“奈良の歴史ある、あたらしい食”である「春日はくたくうどん」を題材に、こころあたたまるストーリーを、昨年12月より全国的に公募しました。
その結果、3月10日の締め切りまでの、2ヶ月ほどの短い期間にもかかわらず55作品もの応募がありました。
奈良グルメフェア実行委員会の委員と奈良在住の小説家、若月ヒカルさんによる審査の結果、今回、大賞受賞作品は「該当なし」となりましたが、優秀賞3作品、審査員特別賞2作品が決定しました。
4月24日、奈良市帝塚山学園学園前キャンパスで開催された、あかね祭&2016奈良食育文化祭(日本の食のルーツ奈良にあり)にて、表彰式が行われ、「大和路ろまん文庫」として発行された入賞作品が来場者に手渡されました。<選考結果入賞作品>
優 秀 賞 「フヒトのうどん」明菜 雪(あきな せつ)東京都狛江市
優 秀 賞 「餺飥に螢が点る」門表良征(もんと よしまさ)奈良県奈良市
優 秀 賞 「奈良を愛して*うどんに恋して」いしかわ つもる 奈良県生駒市
審査員特別賞「お参り前に何食べる?」やながさわ かだ 奈良県奈良市
審査員特別賞「天女がギターを爪弾く春に」滝沢朱音(たきざわあかね)京都府京都市<選考経過>
みなさんの小説のレベルが高く、審査員一同楽しく拝読させて頂きました。
全55作品より16作品が1次選考を通過しました。
残念ながら大賞は該当なしとはなりましたが、受賞された作品はどれも力作ばかりでした。
今回は、はくたくうどんを広く知ってもらうための小説コンテストですので、
・奈良に行きたい!
・はくたくうどんを食べたい!
・奈良をもっと好きになる!
と思わせるストーリーの小説が高い評価を得ました。
<一次選考通過作品>(順不同入賞作品を除く11作品)
手袋 戸島 渉(京都府舞鶴市)
「カフェはな」の物語 え~ま(奈良県奈良市)
かすがたまゆら 高宮 香奈(奈良県奈良市)
初恋うどん 坂井 純香(大阪府堺市)
時(とき) 朝比奈 真理(京都府木津川市)
はくたくのねがい 阪上 隆庸(大阪府八尾市)
まほろば 和田 正臣(大阪府和泉市)
暁には 三島 由至希(奈良県奈良市)
約束の餺飥と猫 奈古 英子(奈良県大和郡山市)
餺飥の糸 倉橋 敦司(愛知県春日井町)
餺飥の天女 後藤田 郁子(大阪府阪南市)以上
はくたくうどん小説コンテストとしては今回限りですが、今後も奈良を舞台とした短編小説は、「大和路ろまん文庫」として随時募集しておりますので、引き続き奈良の魅力を発見し、独自の視点で応募していただけますようよろしくお願いいたします。
なお、システム上の不具合により、ホームページ上での発表が予定より遅れ、ご応募いただいた皆様、関係各所には大変ご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。食のルーツ一覧
中国から伝わった「はくたく」はうどんの元祖ではないか、
また「はくたく」が天皇の春日詣でのおり春日大社で供されたという史実から、
奈良もうどんの発祥地の一つではと考えられ、春日大社式年造替奉祝の意味も込めて、
表記の企画を開催することになりました。
うどん論議を盛り上げるとともに、
奈良にルーツを持つ日本の食の数々を奈良食文化祭として展開致します。
奈良の食文化に触れつつ、ぜひ味わっていただきますようご案内致します。春日餺飥うどん
うどんのルーツ
「春日餺飥うどん」は、来年3月から、春日大社で20年に1度の式年造替が始まるのを記念して、その昔、春日大社で振る舞われたとされている「古代のうどん 餺飥(はくたく)」を再現したものです。NPO法人奈良の食文化研究会は、春日大社からお教えいただいた資料などを参考にして、その頃、奈良で食べられた餺飥は、うどんの元祖であると想定いたしました。その背景を以下に説明いたします。
中国には、大昔から小麦を製粉する技術があり、小麦粉を使ったいろんな食べ物が作られていました。日本でも飛鳥・奈良時代には、小麦が栽培されていました。万葉集のなかにも小麦を歌ったものもあります。当時は、遣隋使や遣唐使を通して、今日の日本の制度や文化の源となる多くのことを学びましたが、小麦粉を使った食べ物も伝わりました。その代表は唐菓子で、縄状の索餅(さくべい)は、そうめんの祖であるとされています。また、東大寺で石臼を使った施設(恐らく、製粉場)があったことも知られています。しかし、奈良に都があった頃、小麦粉を使用した食べ物の全容は明らかではありません。
時代が進んで、平安時代藤原道長の全盛期に小野宮右大臣藤原実資の日記『小右記』に、一条天皇の春日大社行幸(989年)の折、春日大社で一行に餺飥が振る舞われたと書かれています。また、この饗宴の場で、20人の「餺飥女」(はくたくめ)が音曲に合わせて打ったとも記されています。鎌倉時代の料理書『厨事類記』によりますと、餺飥(バウタウ)は「米粉を山芋でつなぎ、れむ木で押し広め、刀で切って」作ったとされています。
今回、平安時代の餺飥を切り麺としてのうどんの元祖とし、この『厨事類記』の記述を基に、NPO法人奈良の食文化研究会が中心となって現代風に再現したのが「春日餺飥(はくたく)うどん」です。小麦粉に米粉や山芋の粉などを混ぜ、幅約1.2センチ、長さ約10~20センチのコシとモチモチ感のある平麺として完成させました。
うどんの起こりには諸説あります。室町時代の公家の日記『山科家礼記』などの記載により南北朝から室町時代の初めとする説、関東の武将・北条重時の書簡により鎌倉中期以前とする説、鎌倉時代の仁治2年(1241年)に中国から帰国した円爾が製麺の技術を博多に持ち込んだという説などです。奈良の食文化研究会としては、“餺飥はうどんの元祖であり、奈良はうどん発祥の地である”と食のロマンを夢みております。
研究会は奈良県飲食生活衛生同業組合を通じ「春日餺飥うどん」の商標登録の認可を受け、現在、これを使用して県下各地に広めていただくための認証制度を準備しています。
<餺飥にまつわる話>
上記の春日大社での餺飥は、20人の餺飥女が楽に合わせて打って提供したと記されています。
2015年3月に行われた「目ッ茶旨グルメコンテスト麺の部門」にて「はくたく花林糖」が1位となりました。
<食べることのできる店舗>
1.菊水楼 奈良県奈良市高畑町1130 Tel : 0742-23-2001
2. しきしき 奈良市大宮町6-9-4 Tel:0742-36-8490.
文献
1.『小右記』小野宮右大臣藤原実資の日記(平安時代)
2.『厨事類記』平安時代から鎌倉時代にかけての料理書(鎌倉時代)
3.『日本めん食文化の一三〇〇年』 奥村彪生 農山漁村文化協会
ひしお
醤油と味噌のルーツ
醤(ひしお)の一つである穀醤(こくびしお)が醤油のルーツと云われる。6世紀頃の農業技術書『斉民要術(せいみんようじゅつ)』には、現在の醤油の製法によく似た、穀物を原料とした穀醤の製法が記されている。この時代はちょうど日本に仏教が伝来した時と重なり、わが国と大陸との交流が活発になり、大陸文化が日本に入って来ると、多くの醤が輸入され、塩漬け技術、発酵技術なども日本に伝来してきたと考えられる。
弥生時代の日本人は穀物を貴重な塩と一緒に保存すると、塩を体に優しく摂取でき、腐敗からも守ることを見つけていたが、かつ発酵・熟成して旨みを持ち、塩分がその旨みを増強することも知っていくと、次第に穀醤を造る技術は定着し、やがて醤を代表していく。大陸での風土条件で生まれた醤を、日本人の経験により培われた知識と製造方法とで日本の風土に適した味わいに改良して、国産の醤を造り、日本人の味覚と嗜好を生活に根付かせていった。701年『大宝律令』が公布される頃には、醤の製造を管理し法制化している。
『正倉院文書(しょうそういんもんじょ)』は醤の記録が実に豊富で、種類も増えた醤は市場でも売られ、平城京での生活で欠かせない“なめ物”であり“調味料”であったことがわかる。乾燥や塩蔵食品が発達し、自然がつくり出した「うま味」を知った奈良時代は、食べる意識に変化が出てくる。
そこで醤の発達期の舞台である奈良県で、『斉民要術』の製造方法を基に穀醤を再現した。春日大社の春の例祭「春日祭」の御棚神饌には醤が用いられていることから、2010年から商品名を「古代ひしお」と名付け奉納している。
平安時代にも引き継がれ、法典『延喜式(えんぎしき)』には具体的な醸造法がないまでも醤の原料の配合や製造量、支給例が明記されていて、中期の日本最古の漢和辞典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」には、「比之保(ひしお)」と醤の和名が記されるまでになった。後期の『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』になると、塩、酢、酒と共に四種器(よぐさもの)と呼ばれる“調味料”の一つになったことが図示されている。
16世紀に入ると穀醤は醤油へと進展していき、『易林本(えきりんぽん)節用集』や『多聞院(たもんいん)日記』などに醤油の文字が見られるように日常生活に登場してくる。
日本の醤が文献に現れた『大宝律令』を初めとすれば、味覚と嗜好の基本は1300年受け継がれてきた。
文責横井啓子
<参考文献>
1.田中静一他:斉民要術 現存する最古の料理書2.関根真隆:奈良朝食生活の研究
3.小栗朋之:醤油製造技術の系統化調査4.日本醤油協会「しょうゆの不思議」
5.飯野亮一:FOOD CULTURE 醤油の歴史③6.横塚保 :日本の醤油
7.伏木 亨:コクと旨味の秘密8.林 玲子:日本の味 醤油の歴史
<こちらで購入できます>- 奈良県醤油工業協同組合
- 片上醤油
〒639-2318 御所市森脇329 TEL 0745-66-003 - ニシキ醤油株式会社
〒636-0124 生駒郡斑鳩町五百井1-3-10 TEL 0745-75-2626
しきしき
「しきしき」とは、葛城市域と、御所市の一部で古くからつくられてきた「おやつ」の菓子である。小麦粉を少量の砂糖と塩で味をつけて水に溶かし、てんぷらの衣よりも柔らかめにし、弱火で熱したフライパンの上に薄く10cm位の円形に広げて焼く。火が通ったら真ん中に「あん」を乗せ、半月形に二つ折りにし、少し焼き直しをすれば出来上がる。「あん」は、エンドウ豆のものが緑色もきれいで美味しく、定番である。エンドウの収穫のすぐ後に小麦が収穫されたので、季節のおやつであったと思われる。何かの儀式に使われたので「式式」というのだろうとされる。季節的には、半夏生餅(ハゲッショモチ)(さなぶり餅、小麦餅)の少し前のころだが、大人たちの田植の骨休みの意味もある半夏生餅の祝いの前に、端午の節句との関連で、子供のおやつとして活躍したのかもしれない。
高齢の方に伺ったところ、昔は「あん」がなく薄く味をつけた小麦粉の薄焼きを折りたたんだものであったそうだ。庶民は贅沢な「あん入り」を食べられなかったのだろうか。小麦は煮ては食べられないので粉に挽く作業が必要であり、砂糖は高級品であったので、昔は庶民には、甘くておいしい「あん入りしきしき」は極めて貴重なおやつであったのだろう。
ところで、上古の時代の日本の菓子は果物であったといわれる。古代になって、遣唐使らにより中国から奈良に、小麦粉を練って、焼く、揚げる、蒸す、煮るなどした「唐菓子」が伝わった。これらは現在の菓子の原型といえるもので、クッキーやかりんとうの元祖、おこしはそのもの、などいろいろなものが作られたようだ。唐菓子の範疇は広く、別に記載の索餅(さくべい)や餺飥(はくたく)を含む「餅」や「麵」も含まれるようだ。中国では「小麦粉を練って作るものの総称」を古代では「餅(ベイ)」、後には「麵(ミェン)」といったという。(参照:「文化麺類学ことはじめ」石毛直道 講談社文庫)
しかし、日本では小麦粉は極めて貴重で、「きなこ」のところで記したように、古代は製粉のための石臼は東大寺など限られたところにしかなく、一般には縦杵と臼で粉砕する製法がとられた。これはかなり長く続き、手回しの石臼は江戸中期以降にようやく普及したようだ。小麦は米と違って粒のまま煮て食することはできないので、日本ではなかなか普及せず、小麦粉はかなりの貴重品であったのだと考えられる。
<参考文献>
「出会い大和の味」 奈良の食文化研究会編 奈良新聞社
「大和の食文化」 富岡 典子 著 奈良新聞社
(「しきしき」にまつわる話)
上古の日本の菓子は果物であり、古代になって奈良に中国から小麦粉を練って、焼く、揚げる、蒸す、煮るなどした「唐菓子」が伝わり、現在の菓子の原型が作られたようだ。唐菓子の範疇は広く、別に記載の索餅(さくべい)や餺飥(はくたく)を含む「餅」(古代)や「麵」も含まれ、中国では「小麦粉を練って作るものの総称」であるとされる。(但し時代による変遷はある)(参照:「文化麺類学ことはじめ」石毛直道 講談社文庫)
<こちらで召し上がれます>
葛城市新在家402-1 電話 0745-48-7000
奈良市新大宮6-9-4 電話 0742-36-8490
奈良の郷土料理 大和雑煮
(きなこ雑煮)
奈良県ではお正月の雑煮に珍しい特徴がある。雑煮の餅をとり出してきな粉にまぶして食ベるのである。黄色の粉は稲穂や金にたとえられ、豊作や幸運を祈ってきな粉雑煮が祝われたのであろう。大和雑煮は焼いた丸餅、丸い小芋、丸い(輪切り)大根、豆腐のみ四角切り(角が立っても問題ない)、味噌仕立てである。家族円満、物事が丸く納まることを願う、すべて揃った縁起物なのである。
雑煮に丸餅を入れ、味噌仕立てのところは近畿一円そうであるが、奈良だけが丸餅を焼いて入れる。近隣では、三重県の北部は丸餅だが南部は角餅である。また和歌山の東南部の一部は角餅を焼いて入れる。関東はのしもちを切った角餅を焼いて入れ、醤油のすまし汁である。餅の形や焼くか煮るか、汁は味噌かすましか、具に何を入れるかなど、地方によって様々な祝い方があるが、理由はと聞くと、丸餅や丸い野菜の使用理由以外はあまり定かではない。雑煮は祝いの餅が中心で、以外は地方の具材を入れたのが「雑煮」と称される所以でもあろう。
では奈良のきな粉雑煮の風習はいつごろからあったのだろうか。
古代奈良、東大寺には中国から伝わった水車で廻す大石臼(碾磑・てんがい)があったが、庶民に石臼はなく、穀物、特に煮えにくく粒食に適さない小麦、大豆等の粉は貴重品であった。しかもこの石臼の製造技術はその後広がっていない。したがってきな粉をまぶす風習が庶民に広がったのは小型の手回し石臼が広がった江戸時代中期以降からではないかと思われる。但し、縦杵と臼で穀物を粉砕する製粉はあったので、重要な催事に際してのきな粉の製造は考えられる。ひょっとして高級貴族、高僧は「きな粉雑煮」を食べていたのかもしれないし、庶民も正月だけは、臼で粉砕したきな粉で雑煮を食べたのかもしれない。
話は変わるが、きな粉をまぶす餅には「安倍川もち」がある。東海道は静岡、安倍川のほとりの茶店で家康が休息した際、主がきな粉にまぶした餅を供し、川の上流にあった金山にちなんでめでたい「金なこ餅」と称したところ、家康がこれを気に入り「今後これを安倍川もちと称せよ」と命名したのが始まりだという。
<参考文献>
1.出会い大和の味 奈良の食文化研究会 奈良新聞社 P43 大和雑煮
2.大和の郷土料理 冨岡典子 奈良新聞社 P8 大和の雑煮
3.全国学校栄養士協議会 大和の雑煮<雑煮の餅について>
雑煮に丸餅を入れ、味噌仕立てのところは近畿一円そうであるが、奈良だけが丸餅を焼いて入れる。近隣では、三重県の北部は丸餅だが南部は角餅である。また和歌山の東南部の一部は角餅を焼いて入れる。関東はのしもちを切った角餅を焼いて入れ、醤油のすまし汁である。餅の形や焼くか煮るか、汁は味噌かすましか、具に何を入れるかなど、地方によって様々な祝い方があるが、理由はと聞くと、丸餅や丸い野菜の使用理由以外はあまり定かではない。<きな粉にまつわる話>
古代奈良、東大寺には中国から伝わった水車で廻す大石臼があったが、庶民に石臼はなく、穀物、特に煮えにくく粒食に適さない小麦、大豆の粉は貴重品であった。しかもこの石臼の製造技術はその後広がっていない。したがってきな粉をまぶす風習が庶民に広がったのは小型の手回し石臼が広がった江戸時代中期以降からであろう。ひょっとして高級貴族、高僧は「きな粉雑煮」を食べていたのかもしれないが。奈良の伝統野菜 丸茄子
日本にナスが伝わったのはおよそ1300年以上前である、といわれています。当時朝廷の置かれていた奈良の正倉院の書物に、茄子の記述が多く残されています。
時代は変わって現代、ほぼ原種に近い状態のまま栽培されているのが大和丸茄子です。この大和丸茄子が本格的に出荷組合という形態で栽培され始めたのがおよそ60年前。それ以前は個々の農家により引き継がれてきました。清酒発祥の地 奈良
現在、一般的に飲まれている清酒(モロミを布で濾し酒粕と液に分けられた透き通った酒)
が初めて造られた場所、すなわち日本清酒発祥の地は【奈良】であると考えられています。
時代は室町時代までさかのぼり、いわゆる戦国時代中期には奈良の寺院を中心に酒造りが盛んに行われていました。現在の清酒製造技術の基礎の部分がこの時期奈良にあったと考えられています。
酒の一大生産地として隆盛を誇った奈良でしたが、輸送コストなどのより高価であったことや、大名の領地政策・社会情勢等により徐々に生産量を減らしました。米産地に近く交通の便の良い地域に酒造りの中心は移っていきました。
そんな中奈良県内の酒造関係者・検査機関等の有志が集まり、奈良で初めて造られた清酒を復活させようという動きが起こりました。当時酒造りの中心地の一つであった奈良市南西部にある「正暦寺」、現在は酒造りの絶えたその場所で採取した酵母・乳酸菌を培養し酒造りに適したものかを調べ、また古い文献をひも解き当時の製造方法の研究を行いました。そして1999年寺院で初めて酒母製造免許を取得した正暦寺の敷地内で、復活させた菩提酛(酒母)の造りが始まりました。「菩提酛純米酒」はその菩提酛を正暦寺より酒蔵まで持ち帰り、その酛を酒母として造られた純米酒です。
現在「菩提酛による清酒製造研究会」に参加している奈良県内9蔵が、各蔵のこだわりを持って造っております。ぜひ飲み比べてみてください。
※奈良市では、乾杯条例が制定されています。� 「奈良市清酒の普及の促進に関する条例」平成25年12月4日条例第68号
【菩提酛による清酒製造研究会参加酒蔵一覧】
八木酒造(奈良市) 升平
倉本酒造(奈良市) つげのひむろ
西田酒造(奈良市) 両白
上田酒造(生駒市) 嬉長
菊司醸造(生駒市) 菊司
油長酒造(御所市) 鷹長
葛城酒造(御所市) 百楽門
今西酒造(桜井市) 三諸杉
北岡本店(吉野郡) やたがらす
<参考文献>
1.出会い大和の味 奈良の食文化研究会 奈良新聞社 P120正暦寺の甘酒
2.大和の郷土料理 冨岡典子 奈良新聞社 P78 奈良酒
3.多門院日記・御酒之日記(室町時代)4.正暦寺HP
うどんルーツサミット(終了いたしました)
参加者募集
日時
2015年9月19日(土)12:00~16:00
場所
なら100年会館 中ホール
プログラム
●「ハクタク女の舞」・「古流 包丁式」 (12:00~)
●シンポジウム「うどんのルーツを考える」(13:00~)◆基調講演/「日本の麺のルーツを探る」 奥村 彪生 (伝承料理研究家)
◆講 演/「春日大社と餺飥うどん」 花山院 弘匡 (春日大社・宮司)
◆講 演/「麺のグローバル化」 筒井 之隆 (安藤百福記念館・館長)
◆講 演/「讃岐うどんの魅力」 吉原 良一 (讃岐 吉原食糧(株)・社長)
◆コメント/「日本各地のうどん達」 瀧川 潔 (奈良の食文化研究会・理事長)
◆コメント/「奈良とそうめん」 山本 太治 (三輪そうめん山本・社長)
◆コーディネーター/的場 輝佳 (奈良女子大学・名誉教授)申込み方法
必要事項をご記入の上、メールかFaxでお申し込みください。
●必要事項 参加者氏名(4名まで)/参加者年齢/住所/連絡先(TEL or FAX or Mail)
●応募締切 2015年8月20日(木)(定員に達し次第、締め切らせていただきます。)
●定員 先着100名
●費用 無料
●特典古流 包丁式 ハクタクの舞 うどんルーツ・サミット 傍聴・参加
試食券(春日餺飥うどん・春日餺飥うどん花林糖・焼き素麺)
特別プレゼント(お持ち帰り用春日餺飥うどん)●申込先
FAX .0742-36-5567 E-mail/nara@insyoku.daa.jp
先着順で受付。発表はメール又は、FAXでお知らせ致します。●お問い合わせ
奈良の食文化研究会
TEL . 0742-33-3939 E-mail/nara@insyoku.daa.jp
●申込書ダウンロード
包丁式(高円御流)とは
高円会は、庖丁式を通じて奈良県高円の地に伝統文化の華を咲かせんと日夜努力をしています。
平安の昔、料理の研究家としてその道の造詣に深く、そして自ら庖丁をとっても当代随一の誉れすらあった藤原朝臣山蔭政朝卿は、いろいろと苦心の末、爼板庖丁捌きの掟として「庖丁儀式」の作法を決められました。右手に庖丁、左手に爼箸を持ち、爼板の上に据え置かれた料理材料には決して素手をふれることなく、自身の六根清浄を念じ、天下泰平、五穀豊穣を祈願しつつ、庖丁の錆になるすべての料理材料の生命に捧げる感謝の意を一刀一礼の作法にのっとって料理する式を完成させました。奈良食文化祭(終了いたしました)
奈良のおいしいが集まる祭典
なら100年会館 時の広場�
9月19日(土) 10:00~18:00
●春日ハクタクうどん試食 15:00~18:00
●奈良食文化祭 和食のルーツを食べ尽くす! 10:00~18:00
(一部 奈良市総合観光案内所 にて出店)奈良市総合案内所
9月20日(日)~23日(水・祝)
●春日ハクタクうどん試食 10:00~18:00
●奈良食文化祭 和食のルーツを食べ尽くす! 10:00~18:00奈良食文化祭出店内容
古代豆腐・ 奈良の雑煮【きな粉雑煮】
饅頭【天皇の愛した饅頭】・清酒発祥の地の菩提酛飲み比べ
ならB級グルメチャンピオン 食べ比べ三輪素麺 【流しそうめん】・奈良野菜【丸ナスステーキ】
大和かしわ【大和肉鶏】・ しきしき【昔のお菓子】
柿の葉寿司・ 大和茶
カキ氷 その他
※9月20日(日)~23日(水・祝)は、一部のみの出店となります。
お問合せ
- 主催 奈良グルメフェア実行委員会、 特定非営利活動法人 奈良の食文化研究会
- TEL . 0742-33-3939(奈良の食文化研究会)
- FAX .0742-36-5567
- E-mail/nara@insyoku.daa.jp
下記に必要事項をご記入のうえ、送信ボタンを押してください。
- 主催 奈良グルメフェア実行委員会、 特定非営利活動法人 奈良の食文化研究会
主催・共催・協力・後援
主催
- 奈良グルメフェア実行委員会
- 特定非営利活動法人 奈良の食文化研究会
特別協力
- 春日大社第六十次式年造替記念奉祝行事実行委員会
共催
- 奈良市飲食店組合
- 奈良県菩提酛による清酒製造研究会
- ヘルスチーム菜良
- 奈良県三輪素麺工業協同組合
- 奈良県三輪素麺販売協議会、
- 奈良県4hクラブ連絡協議会
- 一般社団法人地域の未来創造機構
- 特定非営利活動法人Operation Smile
協力
- 奈良県飲食生活衛生同業組合
- 公益社団法人 奈良県食品衛生協会
- JAならけん
- 市民生協ならコープ
後援
- 農林水産省近畿農政局
- 奈良県
- 奈良市
- 奈良市観光協会
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